はいさいー!
よーさんです!
どうにもこうにも肩こりが善くなりません!
ここ3日間ぐらい頭痛薬にずっとお世話になってます・・・
早く暖かくならないかなぁ。
さて今回は、
1979年~1980年に発生したイエスの方舟事件と、
その主宰者の千石イエスについて調査してみたのでお送りしたいと思います!
それではいってみましょうー!
目次
千石イエスの事件とは?
千石イエスの事件、
別名「イエスの方舟事件」これ知ってる人は知ってると思うんですが、
1979~1980年に信仰宗教「イエスの方舟」が、
マスコミにバッシングされた事件です!
事件の詳細は?
1975年頃から家庭に居場所がないと感じていた信仰信者が、
千石イエスの活動に共感を持って、
家庭を捨てて共同生活を始めるようになりました。
独身の女性が多かったようですが、
中には男性や既婚者も居たそうです!
しかし、千石が体調を崩したのをキッカケに満足な布教活動が出来なくなり、
1978年から信者26名と全国を転々とし始めました。
その頃、急に居なくなった家族を心配して各地で捜索願が出されて、
千石の存在をマスコミに告発して協力を依頼するという事態に。
そして、婦人公論誌や産経新聞がキャンペーンを貼ったり、
「千石イエスよ、わが娘を返せ」
という手記を掲載したりしました。
ただ、全国的にその存在が周知されてきた頃に、
イエスの方舟の娘達からマスコミに手紙が届くようになったそうですが、
マスコミがこれを信じるはずもなく無視。
ただ、サンデー毎日誌だけは周りの状況に飲まれずに正しい報道を続けていたそうです!
もちろん他の報道関係者から批判は受けたそうなんですが、
その姿勢を変えることはなかっみたいですね。
その甲斐あってか、
毎日サンデー誌は、「千石イエスの独占会見記」を掲載することが出来たみたいですね。
その結果、マスコミ戦争になってしまい、
千石にも逮捕状が出されたのですが、持病の心臓病から狭心症を発症してしまい、
その時は逮捕を逃れたそうです。
その後、退院した後に取り調べを受けて、
書類送検されたものの、翌年には不起訴処分という決定が下されて、幕を閉じました。
ということでした!
現代の神隠しなどと言われて、
かなり騒がれた事件だったみたいですね。
千石イエスの本名や正体は?
大きな反響を呼んだこの事件の主宰者でもある、
千石イエスの本名や正体を調査してみました!
千石イエスの本名は、千石剛賢(せんごく たけよし)という事がわかりました!
誘拐や名誉毀損、暴力行為と色々言われていましたが、
連れ添った26人の女性の為に自身が肉体労働をしていたと話や、
一度親元に帰された人達が、また千石を追って共同生活を始めたという話を聞くと、
悪い人ではなさそうですよね。
若い頃は短気な性格がゆえに喧嘩に明け暮れてたという過去もありましたが、
女性達が暴行されたりする事は一切無かったみたいです。
イエスの方舟の現在は?
事件が沈静化した後、
千石は福岡の中州で「シオンの娘」というクラブの経営を始めました。
働いてるのは千石と行動を共にしていた女性会員達で、
お酒の提供のほかに、「教会」のような存在で、
お客さんの悩みや人生相談などにのる活動拠点となっているそうです。
1993年、古賀市に「イエスの方舟会堂」を建設。2001年12月11日、福岡市の病院で死去。78歳没。
千石の死後も信者はクラブ経営の他に、近親者などからの暴力から逃れる女性の『駆け込み寺』的な施設の運用も行っている。
引用:wiki
これがイエスの方舟の現在ですね。
終わりに
いかがでしたでしょうか?
現代の神隠しも紐を解いてみると、
また違う形に見えてきますね。
これと同じような宗教事件で
オウムの事件などもありましたが、
それはまた別の機会に紹介したいと思います!